寄稿文 Essay
たまにですが研究以外の文章を書く機会があります。
サイエンスとは全く関係なく、主観的な文章ですので、悪しからずご了承ください。
2024年7月10日
2015年に酸化ストレスについて講演をさせて頂いた公益財団法人 サロン・ド・K財団が、40周年を迎えることに対する寄稿文です。
「劣等感と傍若無人」
私がサロン・ド・Kでお話させて頂いてから10年が経ちます。今年の初夏にサロン主催者北村氏より40周年記念誌への寄稿依頼のメールが届きました。当時のことを覚えて頂いたようでほんとうに嬉しい限りです。寄稿文は40周年おめでとうございますから始まり、サロンでお話しした際は…と続く文章が一般的なのかもしれませんが、そのようなことを書いても(私が)楽しくないので、別の話題で進めます。
高校時代、私は理系科目が苦手で、大学受験前の全国模試で数学の偏差値29をたたき出します。当時はそこまで深く考えていませんでしたが、偏差値29というのは、模試を受けた全学生の中で下位2%程度らしいですね。当時の高校の先生から「お前がもし大学に入学できたとして、お前に入学される大学の気になりなさい。可哀そうだろう。」と言われたことは今でもよく覚えています。今の時代ならコンプラ違反な言い方になるのでしょうか?でも当時の私には納得の一言でした。劣等感とは、“ある事柄に対して自分が他人よりも劣っていると感じた時に芽生える感情”のようで、当時の私にピッタリです。しかし、優秀な学生に対して負い目を感じることもなく、勉強が劣っていることに対する特別な感情はありませんでした。
時は流れて大学院生の頃、私は製薬企業との連携大学院に入学し、製薬企業の研究所の中で過ごします。学生の身分でありながら企業の研究所の中で過ごすというのはとても居心地が悪く、お勧めできるものではありません。その最たるものは企業が自由に大学院を潰せるという点で、実際、私が在学中に連携大学院の解消が決まり、指導教官がいなくなって路頭に迷いました。大阪大学の金澤浩先生に拾って頂き事なきを得ましたが(今でも誰よりも感謝しています)、人生ドロップアウトになりかねない出来事であり、いかなる状況でも自分で身を立てていくことの大切さを身に染みて経験させられた大学院時代でした。また、捨てる神あれば拾う神ありを実感した時期でもありました。
そんな私も40半ばを迎えました。高校生の頃に偏差値29だった私が、大学で生命科学を教え、研究しているというのは「足元から鳥が立つ」というやつでしょうか。さて、社会に出て少ししたころから、立ち振る舞いについて見直すようになりました。結論として、傍若無人はアリじゃないかと思います。もちろん、一般的な傍若無人とはすこし違った、シン・傍若無人です。積極的にヒトを求めず、自身を良く律すれば、ヒトは自ずから来る。令和の世になり早や6年、価値観は多様化するばかりですが、心地よい人間関係を築くことが豊かな暮らしに繋がることに変わりはありません。サロン・ド・Kがより良い人間関係を築く場であることを祈念して、筆をおきたいと思います。